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Ⅵ パワハラ
最近では、上司から部下に対する指導、注意が、すべてパワハラになってしまうのではないかと言われています。そのため、上司は恐る恐る部下に指導、注意を行い、その結果、部下の行動が改まらず、結果的に会社のパフォーマンスに影響を与えています。
会社としては、こうした事態に至らぬように、指導、注意とパワハラの境界線を見定め、必要なことは上司がしっかりと部下を指導できるようにしておくことが大切です。
以下では、パワハラの境界線を、裁判例を見つつ探っていきたいと思います。
目次
Ⅰ パワハラ防止法とは
パワハラ防止法はもともと2019年5月に成立し、2020年6月に施行されました。これまでは大企業のみに適用され、中小企業には適用の猶予期間が設けられていました。それが、2022年4月1日から中小企業にも適用されることとなったのです。パワハラ防止法には罰則はありませんが事業主に講ずるべき措置が努力義務として定められていますので、怠ると訴訟に発展する可能性があります。
Ⅱ パワハラの定義
パワハラ防止法によって、企業にはパワハラを防止するための対策をすることが義務化されました。
パワハラになる言動は、
- 優越な関係を背景とした言動
- 業務上必要かつ相当な範囲を越えたもの
- 労働者の就業環境が害されるもの
という3つの要件すべてを満たすものです。
たとえば、上司が部下のミスを叱責する場面で、ミスには関係がない人格を否定するような発言、経験や知識の差があるにも関わらず、優越の差を感じさせるような言動があり、その言動によって部下が働く意欲をなくしたり、仕事に集中できなくなるほど影響を受けたりした場合がパワハラにあたります。
法律上では典型的なパワハラ例として、
- 身体的な攻撃
- 精神的な攻撃
- 人間関係からの切り離し
- 過大な要求
- 過少な要求
- 個の侵害
の6つを挙げています。
先ほどの例では、人格を否定するような発言や優越を感じさせる発言が②の精神的な攻撃」です。⑥の個の侵害とはプライベートに過度に立ち入る言動をすることを指します。
民法ではパワハラが不正行為責任として罰せられたり、場合によっては刑事罰を受けたりする可能性もあるので、過度な言動をしないように気を付けなければなりません。
Ⅲ パワハラの裁判例
具体的にどのようなパワハラ事例があったのかを最近の判例から見ていきましょう。それぞれの判決は、それぞれの事例に対する判断ですので、注意深く見ていって下さい。
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パワハラに該当するとされた裁判例
上司の部下に対する注意・指導・叱責がパワハラに該当するとされた裁判例として、次のようなものが挙げられます。
ア 保険会社上司事件(東京高裁2005年4月20日判決)
事案は、上司が、エリア総合職で課長代理の地位(=数十名所属するユニットの3番目の席次)にある部下宛に、「……意欲がない、やる気がないなら、会社を辞めるべきだと思います。当SC(=サービスセンター)にとっても、会社にとっても損失そのものです。あなたの給料で業務職が何人雇えると思いますか。あなたの仕事なら業務職でも数倍の業績を挙げますよ。本日現在、搭乗(=搭乗者傷害保険)10件処理、○○さん(=中途入社2年目の専任職)17件。業務審査といい、これ以上、当SCに迷惑をかけないでください」などと赤文字で記載し、しかも、当該の部下と同じユニットの従業員数十名を宛先に含めてメールを送信したというもの。
判決は、「……本件メールの内容は、(上司が部下に対し)その地位に見合った処理件数に到達するよう叱咤激励する趣旨であることがうかがえないわけではなく、その目的は是認することができる」として目的の正当性を認めつつも、「……本メールの中には、……退職勧奨とも、会社にとって不必要な人間であるとも受け取られるおそれのある表現が盛り込まれており、これが部下本人のみならず同じ職種の従業員数十名にも送信されている。この表現は、……それ自体は正鵠を得ている面がないではないとしても、人の気持ちを逆撫でする侮辱的言辞と受け取られても仕方のない記載などの他の部分ともあいまって、部下の名誉感情をいたずらに毀損するものであることは明らかであり、……その表現において許容限度を超え、著しく相当性を欠くものであって、部下に対する不法行為を構成する……」と判示し、侮辱的表現を用いたことが部下の名誉感情を毀損するとして、部下に対するパワハラを認めた(慰謝料5万円を認容)。
イ U銀行事件(岡山地裁2012年4月10日判決)
事案は、支店長代理である上司が、脊髄空洞症等に罹患して約3か月半入院した後、約2か月半自宅療養を得て職場復帰した部下(後遺症により身体障害者等級4級と認定された)が業務上のミスをしたことについて、同人に対し、厳しい口調で「辞めてしまえ、○○以下だ」などといった表現を用いて、1回限りではなく頻繁に叱責したというもの。
判決は、「……ミス及び顧客トラブル……で上司に叱責されている内容からすると、部下が通常に比して仕事が遅く、役席に期待される水準の仕事ができてはいなかったといえる」として、叱責に至った事情については理解を示しつつも、「しかしながら、本件で行われたような叱責は、健常者であっても精神的にかなりの負担を負うものであるところ、脊髄空洞症による療養復帰直後であり、かつ、同症状の後遺症等が存する部下にとっては、さらに精神的に厳しいものであったと考えられること、それについて上司が全くの無配慮であったことに照らすと、上記部下自身の問題を踏まえても、上司の行為はパワーハラスメントに該当するといえる」として、部下の健康状態を踏まえて叱責の内容や態様を考慮し、部下に対するパワハラを認めた(慰謝料100万円を認容)。
ウ ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件(東京高裁2013年2月27日判決)
事案は、上司が部下に対し、直帰せずにいったん帰社するよう指示していたにもかかわらず、部下が上司の指示を無視して直帰したところ、上司が部下に対して、午後11時少し前に、「まだ銀座です。うらやましい。僕は一度も入学式や卒業式に出たことはありません」との内容のメールを送り、さらに午後11時過ぎに2度に渡って携帯電話に電話をし、「私、怒りました。明日、本部長のところへ、私、辞表出しますんで」などと怒りを露わにした留守電メッセージを入れたというもの。
判決は、「……留守電やメールの内容や語調、深夜の時間帯であることに加え、従前の部下の上司に対する態度に鑑みると、同留守電及びメールは、部下が帰社命令に違反したことへの注意を与えることよりも、部下に精神的苦痛を与えることに主眼がおかれたものと評価せざるを得ないから、部下に注意を与える目的もあったことを考慮しても、社会的相当性を欠き、不法行為を構成する……」と判示し、留守電やメールの主たる目的を考慮して、部下に対するパワハラを認めた(他の複数のパワハラ行為と合わせて、慰謝料150万円を認容)。
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パワハラに該当しないとされた裁判例
これに対して、パワハラには該当しないとされた裁判例としては、次のようなものが挙げられます。
ア 前田道路事件(高松高裁2009年4月23日判決)
事案は、上司らが、架空出来高の計上などをした営業所長に対し、是正指示をしたところ、1年以上経過した時点においても是正されていなかったことから、上司が営業所長に対し、「東予営業所には1,800万から2,000万近い借金があるんだぞ」と現状を再確認した上で、「達成もできない返済計画を作っても業績検討会などにはならない」、「現時点で既に1,800万円の過剰計上の操作をしているのに過剰計上が解消できるのか。出来る訳がなかろうが」、「会社を辞めれば済むと思っているかもしれないが、辞めても楽にはならないぞ」などと叱責したというもの。
判決は、「……(本件の事情のもとでは)営業所長の上司らが営業所長に対して不正経理の解消や工事日報の作成についてある程度の厳しい改善指導をすることは、営業所長の上司らのなすべき正当な業務の範囲内にあるものというべきであり、社会通念上許容される業務上の指導の範囲を超えるものと評価することはできないから、上記のような営業所長に対する上司らの叱責等が違法なものということはできない」と判示し、本件具体的事情の下においては、厳しい改善指導をすることはなお正当であるとして、上司の営業所長に対するパワハラを否定した。
イ 医療法人財団健和会事件(東京地裁2009年10月15日判決)
事案は、病院の健康管理室に事務総合職として採用された部下が、約1か月の間に、データ入力ミス、検査結果通知へ住所の記載ミス、検査の順路案内表へのゴム印の失念・記載ミス、業務対応中の他の職員への質問、病歴を整理する書類への書き間違いなど単純ミスを繰り返していた。そのため、上司は、部下との定期面接において、同人に対し、ミスを減らすこと、学ぶ姿勢と意欲を見せること、メモを自宅で復習し自らの課題を確認して業務に励むよう厳しく指摘した。また、2度目の定期面接において、部下のミスは減ったものの、相変わらず学習していないこと、パート従業員から不満が出ていること、仕事覚えが遅くとも一生懸命やっているという意欲を見せて欲しいことなどを指摘した、というもの。
判決は、「……上司の業務遂行について被告(病院)による教育・指導が不十分であったということはできず、……上司の事務処理上のミスや事務の不手際は、いずれも、正確性を要請される医療機関においては見過ごせないものであり、これに対する……都度の注意・指導は、必要かつ的確なものというほかない。そして、一般に医療事故は単純ミスがその原因の大きな部分を占めることは顕著な事実であり、そのため、上司が、部下を責任ある常勤スタッフとして育てるため、単純ミスを繰り返す部下に対して、時には厳しい指摘・指導や物言いをしたことが窺われるが、それは生命・健康を預かる職場の管理職が医療現場において当然になすべき業務上の指示の範囲内にとどまるものであり、到底違法ということはできない」と判示し、上司による部下に対するパワハラを否定した。
Ⅳ 会社としてのパワハラに対する備え
上司の部下に対する注意・指導・叱責がパワハラに該当するか否かについては、2つのポイントがあると思われます。
第一に、注意・指導・叱責などが業務上の必要性に基づくものであるかです。業務上の必要性のないものであれば、パワハラとされる可能性が高くなります。
第二に、注意・指導・叱責などに業務上の必要性が認められるとしても、その内容や態様が具体的状況のもとで相当な範囲のものといえるかです。相当な範囲を超えるものであれば、やはりパワハラとされる可能性が高くなります。
したがって、上司の部下に対する注意・指導・叱責においては、業務上の必要性があるかどうかと、その内容や態様が相当なものと言えるかの2点について注意をしつつ行う必要があります。
Ⅴ 労働問題のご相談は青山東京法律事務所へ
青山東京法律事務所は、多くの顧問先を抱えており、頻繁に労働問題の相談を受けています。問題社員の解雇、業績不振による整理解雇、懲戒処分の実施、残業代請求への対応等、実に多くの経験をしてきています。
労働問題は、労働者にとっては生活の糧がかかった問題であり、企業にとっても、自社の競争力に関わる重要問題ですので、できるだけ穏便な解決を図ることが望ましいことは言うまでもありません。しかしながら、労働者の立場に立っても、会社側の立場に立っても、筋を通さなければいけない場面もあり、ケース・バイ・ケースで適切な判断をしていくことが求められています。
労働問題でお悩みの方は、経験豊富な青山東京法律事務所へ是非ご相談ください。
監修者
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植田 統 弁護士(第一東京弁護士会)
東京大学法学部卒業、ダートマス大学MBA、成蹊大学法務博士
東京銀行(現三菱UFJ銀行)で融資業務を担当。米国の経営コンサルティング会社のブーズ・アレン・アンド・ハミルトンで経営戦略コンサルタント。
野村アセットマネジメントでは総合企画室にて、投資信託協会で専門委員会委員長を歴任。その後、レクシスネクシス・ジャパン株式会社の日本支社長。
米国の事業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズでは、ライブドア、JAL等の再生案件を担当。
2010年弁護士登録。南青山M's法律会計事務所を経て、2014年に青山東京法律事務所を開設。2018年、税理士登録。
現在、名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論の講義を行う他、Jトラスト株式会社(東証スタンダード市場)等数社の監査役も務める。