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Ⅳ 敷金償却の特約(敷引特約)は有効か
目次
1 敷金はどういう役割を果たしているのか
敷金とは、賃貸借契約に基づく賃借人の債務を担保するため、賃借人から賃貸人に預託される金銭をいいます(民法622条の2)。賃料の滞納、居室を壊してしまった場合の損害賠償等、賃借人側の行為に起因して生じる債務をカバーするためのものです。
賃貸人としては、このようなトラブルが発生した場合、賃借人に対して賠償・補償を請求できますが、賃借人がすんなりと払ってくれない場合には、敷金から差し引くことができるようになっています。
2.敷金償却の特約(敷引特約)とはどのようなものか
(1) 敷金償却の特約(敷引特約)とは、敷金の一部を返還しない旨の合意のこと
「敷金償却の特約(敷引特約)」とは、賃貸借契約の終了時に、敷金の一部を控除したうえで返還する旨の合意をいいます。具体的には、契約中に賃料滞納や損害賠償が発生したか否かにかかわらず、退去時に返還される敷金からは、必ず一定額が控除されてしまうというものです。
(2) 敷金償却の合意金額は、実際にかかった原状回復費用とは一致しない
敷金償却を行うことには、賃借人に退出時の「原状回復費用」を負担させる意味があります。
本来、以下の①経年変化・通常損耗は、賃貸人が負担すべきもの、以下の②の賃借人の帰責性による損耗は賃借人が負担すると考えられていますが、この①をも賃借人に負担させようとする合意が、敷金償却の合意(敷引特約)です。
問題は、その範囲が、「原状回復費用」であれば実際にかかった費用にとどまるはずですが、敷金償却の合意(敷引特約)の場合、実際にかかった費用ではなく、一定の金額があらかじめ定められていることです。
- 経年変化・通常損耗
「経年変化」とは、年数の経過によって、当然に生じる建物の変化を指し、「通常損耗」とは、賃借人が建物を使用するに当たって、自然に生じる損耗を指します。
例えば、家具設置による床やカーペットのへこみ、日照などによる畳、フローリング、クロスの変色、画鋲穴、ビン穴等のことです。
- 賃借人の帰責性による損耗等
賃借人の用法違反や過失行為によって、建物に生じた損耗等です。
例えば、引っ越し作業によって発生した床や壁面の傷、タバコのヤニや臭い、ペットが付けた柱の傷や臭い、くぎ穴、ねじ穴等のことです。
3.敷金償却の特約(敷引特約)は有効か
(1) 敷金償却の特約(敷引特約)は、消費者契約法上10条によって、すべて無効となるわけではない
消費者契約法10条は、消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、信義則に反して「消費者の利益を一方的に害するもの」は無効とすると言っています。
敷金償却の特約(敷引特約)は、当事者間で特段の合意がない限り、通常損耗等の補修費用を賃借人に負担させる趣旨を含む(最高裁平成23年3月24日判決)とされています。
そのため、敷金償却の特約(敷引特約)は、消費者の義務を加重する契約条項に当たるので、「信義則に反して消費者の利益を一方的に害する」ものと評価される場合には、敷金償却の特約(敷引特約)は無効となります。
(2) 敷金償却の特約(敷引特約)は原則有効
しかし、最高裁平成23年3月24日判決は、敷金償却の特約(敷引特約)を原則有効としました。
その理由は、賃借人が負担する敷引金の額が契約書によって明確に合意されている場合には、賃料には通常損耗等の補修費用が含まれないものと合意されているとみるのが相当であり、賃借人が通常損耗等の補修費用を二重に負担するわけではないこと、通常損耗等の補修費用に充てるため、賃貸人が賃借人から支払いを受ける金銭を具体的な一定額とすることは、紛争防止の観点からあながち不合理とは言えないことにあるとしています。
この理由から考えると、賃貸借契約に敷金償却の特約(敷引特約)が規定されている場合には、その内容に従って敷金の精算が行われるのが原則だということになります。
(3) 高額すぎる敷金償却の特約(敷引特約)は無効となる
ただし、同最高裁判決は、賃貸人と賃借人の間の情報や交渉力の格差を背景に、賃借人が一方的に不利益な負担を余儀なくされているケースが多いとして、敷引金の額が高額に過ぎる場合には、敷金償却の特約(敷引特約)が無効になり得るとしています。
4.裁判例からは、3~3.5か月程度の敷金償却の特約(敷引特約)は有効と思われる
裁判例の傾向を見ると、敷金償却の特約(敷引特約)の有効性が認められるためには、敷引金の額が、月額賃料の3~3.5倍程度までに抑えられていることが目安となっています。
この水準を超えた場合、敷金償却の特約(敷引特約)が全体として無効となるか、それとも一定額を超える部分のみが無効となるかは、事案によって判断が分かれています。
5.敷金償却の特約(敷引特約)については、事前に契約書の確認を
以上が、敷金償却の特約(敷引特約)の有効性についての、裁判所の判断です。
賃貸人も賃借人も、契約書の敷金償却の特約(敷引特約)がどのように書かれているかをよく確認し、退出時にトラブルとならないようにしておくことが必要です。また、トラブルとなってしまった場合には、事案によって裁判所の判断が異なってきますので、早めに弁護士に相談することをお勧めします。
監修者
植田 統
1981年、東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。
ダートマス大学MBAコース留学後、ブーズ・アレン・アンド・ハミルトンで経営戦略コンサルティングを担当。
野村アセットマネジメントで資産運用業務を経験し、投資信託協会で専門委員会委員長を歴任。
レクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長を務め、経営計画立案・実行、人材マネジメント、取引先開拓を行う。
アリックスパートナーズでライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当。
2010年弁護士登録後、南青山M's法律会計事務所に参画。2014年に青山東京法律事務所を開設。2018年、税理士登録。
現在、名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を講義。数社の社外取締役、監査役も務める。